柏レイソルサポーターにとって、あまりにも心を痛める話題である。柏レイソルで活躍した、レアンドロ・ドミンゲスが精巣がんのため亡くなった。41歳であった。レイソルにJ1リーグ初優勝をもたらした中心選手であった「ニーヤン」の訃報に、悲しみに暮れたファン・サポーターは多い。ここではレアンドロ・ドミンゲスの数々の功績をまとめる。
レイソルに黄金期をもたらす
J1初優勝の立役者
2010年、J2に所属していた柏レイソル監督であったネルシーニョが獲得を熱望したこともあり、柏レイソルへ移籍。J2では「反則級」と言われるほどの圧倒的なパフォーマンスでチームを牽引し、13ゴールを記録。柏レイソルをJ2優勝と、J1昇格へ導いた。
2011年、フランサが付けていた10番を背負うことになった。J1リーグでも変わらぬ活躍を見せ、リーグ戦で15得点を記録。卓越したボールテクニックと絶妙すぎるスルーパス、闘志あふれるプレーで、日立台を何度も沸かせた。この年、Jリーグ史上初となる昇格1年目でのJ1優勝という快挙を成し遂げるチームの立役者として、自身もJリーグ最優秀選手賞(MVP)を受賞した。そしてクラブワールドカップでは4位に導き、柏レイソルというチームが世界を目指すきっかけを作ってくれた。
同じ右サイドを組んだ、酒井宏樹が著しく成長したのも彼のおかげである。レアンドロ・ドミンゲスというスーパーな選手に引き上げられて、酒井は無名選手から一気に日本代表の不動の右サイドバックへと上り詰めた。
国内タイトルを総なめに
2012年、リーグ戦10得点を記録し、2年連続でJリーグベストイレブンに選出された。また、この年にはスーパーカップと天皇杯の優勝も果たし、初のACL挑戦と新たなステージへチームを引き上げた。
2013年、シーズン中に3度の負傷による戦線離脱があり、リーグ戦では最小となる12試合2ゴールに留まった。この年にはヤマザキナビスコカップ(現ルヴァンカップ)優勝にも貢献し、これで国内3大タイトルを全て獲得したのであった。


名古屋と横浜FCでもプレー
2014年はトラブルもあり名古屋グランパスに移籍。しかし怪我に悩まされて2シーズンで14試合2得点にとどまり、2015年シーズン終了後に契約満了となった。
ブラジルのクラブを経て、2018年からは横浜FCでプレー。J2第40節・大分トリニータ戦と第41節・ファジアーノ岡山戦で大活躍して、チームをJ1参入プレーオフ圏内の3位に導き、月間MVPを受賞した。横浜FCでは通算98試合に出場し20得点を記録し、2020年シーズン限りで契約満了により退団。
永遠の10番へ哀悼の意
奇才の10番でレイソルが新しい景色を見ることができた。レアンドロ・ドミンゲスが所属した2010〜2014シーズン、レイソルは毎年タイトルを獲得した。この黄金期にレイソルのファン・サポーターになった人は多いはずだ。筆者も本格的に応援する、きっかけとなったのは間違いなく彼に一目惚れしたからである。
似たようなニュースは、実は3年前にもあった。工藤壮人である。2022年に32歳の若さでこの世を去ってしまったストライカーも、このレドミと同じ時期に活躍しタイトルをもたらした中心選手だった。あの黄金世代のレイソルの選手が、まさか2人も亡くなるとは、無念で言葉を失う。
4/2の京都サンガFC戦と4/6のガンバ大阪戦は、喪章を付けて戦う。サンガとの試合では、ラストワンプレーで失点し勝利を届けられなかった。ガンバとの試合では勝利して、天国のニーヤンに哀悼の意を届けたい。御冥福をお祈りします。
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