9/14(木)柏レイソルで活躍した元日本代表の李忠成(りただなり)が、現役引退を表明した。レイソルから日本代表へと上り詰めた左利きのストライカーは、2023シーズンをもってスパイクを脱ぐことになった。ここでは李忠成のサッカー人生をまとめることにする。
レイソルから日本代表へ
1985年に韓国人の親の元、東京都で生まれ育った。横河電機ジュニアユースからFC東京U-18へ進み、2004年にはトップチーム昇格を果たす。しかしFC東京ではなかなか出場機会を得ることはできず、2005年に柏レイソルへの移籍を決める。
レイソルでは石崎監督のもと、1トップやトップ下として起用され才能が開花。2007年には日本国籍を取得し、U-22日本代表に選出されるまでに成長した。フランサとともにレイソルの攻撃陣をけん引し、この年は10ゴールを決めた。2009年元旦の天皇杯決勝ではガンバ大阪に敗れたものの準優勝に大きく貢献した。このころは2008年北京オリンピックのメンバーに選出され、成長速度は凄まじい勢いであった。しかし2009年途中のネルシーニョ監督のもとでは出場機会を減らしてしまい、シーズン途中にサンフレッチェ広島へ移籍する。
歓喜と苦悩
サンフレッチェではストライカーとして結果を残すと、2011年のアジアカップメンバー入りを果たし遂にA代表デビュー。そして決勝のオーストラリア戦では、延長戦で見事なダイレクトボレーを突き刺し日本の優勝に大きく貢献した。そしてイングランド2部のサウサンプトンへ移籍し念願の海外挑戦をつかみ取る。
サウサンプトンではケガなどもあり期待されていた活躍は出来ず。2014年には浦和レッズへ加入すると輝きを取り戻し、2016年のナビスコカップ(現ルヴァンカップ)ではチームの優勝に貢献、大会MVPにも選ばれた。その後横浜F・マリノス、京都サンガと渡り歩き、2023シーズンはアルビレックス新潟シンガポールでプレーしていた。
愛されたストライカー
レイソルでは韓国の名前で親しまれ「チュンソン」と呼ばれていた。甘いマスクでゴールを奪う姿は日立台に駆けつけたサポーターを虜にしていた。アジアカップ決勝で決めたダイレクトボレーについて、ずいぶん前のテレビの取材でボレーシュートが得意であることを公言していたことから、大舞台でそのテクニックを披露し優勝の立役者になったのは偶然でないことが分かる。
サッカー界からまた一人、レイソル戦士が去ってしまうのは寂しいが、それでも数多くの感動を与えてくれたことに感謝したい。そして李忠成の第二の人生も引き続き応援していきたい。
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